不測に立ちて無有に遊ぶ

今回は少々僭越な内容かもしれません。


私が診させていただいている患者さんの中には、難病の方もいらっしゃいます。

病院での治療を長く行ってきたものの原因がわからず、打つ手なしと言われてしまった方や具体的な治療を行っていながら、「もう治ることはない」とご自身で結論を出されてしまった方もいらっしゃいます。


今回タイトルにあげた「不測に立ちて無有に遊ぶ」とは中国の古典、荘子応帝王篇)の言葉です。

不測とは予測をしないこと、言い換えると未来を決めつけないということかと考えます。


無有とは今現在を表していて、全体としては「未来を憂えず今の状況に没頭する」というような解釈をしています。


一見、「アリとキリギリス」のキリギリスのように刹那的な考え方にも見えますが、そうではなく、自分(人)の狭小な考えだけで未来を憂いて「気」を弱くせず、今、目に見えるもの見えないものの中で精神を自由にしようではないかというものと解釈しています。


治癒を望むことが難しいと言われると「どうせ」「結局は...」という言葉や考えで心を硬くしてしまうことでしょう。

心を硬くしてしまうと、治療などで他覚的には良い変化が起こっていても「やっぱりダメだ」ということを探して、どうせ...と考えてしまうかもしれません。


その先には、このままがんばってもどうせ...結局は...というところで袋小路になってしまい、実際には起こっている変化に気づくことが出来ず、より治りにくい心身をつくってしまうことになっているのかもしれないのです。


そういった精神状態にある患者さんを治療して良い状態にしていくことが私たちの責務であることはもちろんですが、東洋医学の思想の元と言われる老荘、ここでは荘子が示した言葉を頭の片隅にでも置いていただければとおもった今回の内容でした。